noobelec’s diary

電気(elec)が初心者(noob)な人の学習日記

初TOEICの感想

学校で散々勉強をさせられたが、なんだかんだ受けていなかったTOEICを社会人になって初受験してきた。

学校で勉強したといっても数年前のこと。

ほぼ事前準備なしと言ってもいい状態で受験した感想を述べます。

 

端的に言えば、

①リスニング壊滅的

②長文時間かかりすぎ

 

TOEICの試験構成自体もあまり知らずに受験したのだが、

基本的には

 

50% リスニング

50% リーディング

 →25% 短文問題

 →25% 長文問題

 

てな感じで、構成や問われる内容自体はとてもシンプルで分かりやすい試験だと思った。とはいえ簡単なわけではないが…。

 

まず①から言えば、

もうわけわからん状態。

数単語を聞き取れるくらいで文章としては全然わからん。

しかし、50%がこのリスニングで占められていることから、

ここを取れればかなりの配点になる。

うーん、留学などせずに高得点をとれる人は、どう勉強しているのだろう。

しごく簡単に言えば、聴いた内容から意味を汲み取れればよいだけなのだ。

聴いて理解するプロセスは単純な条件付けであると思うので、論理的に考えるリーディングより、「慣れ」の影響する比率が多いのではないか。

つまり、英語を頻繁に聴いて理解するのを繰り返すという勉強法くらいしか思いつかんな。

 

次に②に関して。

じっくり読みすぎた。

時間が足りず1/6くらいマークしなかった。

とはいえ、完全にあてずっぽうでマークして得点しても何も嬉しくない。

英文の慣れというより、TOEICの試験に対する慣れが足りなかったように思う。

英文をしっかり読んでから問題文を読むなどしてしまったが、

最初からその逆をすれば、最短距離で答えに辿り着けることから、少しは短縮できるだろう。

 

でもとりあえず、受けてみて良かったと思った。

なんというか、ゲームのようで面白いかも。

その有用性だけでなく、構成がシンプルで分かりやすいからこそ、ここまで人気が出たんじゃないかな。

それに久々に大学という環境に触れられたのもなんだか嬉しかった。

研究やそれに必要なプログラミングが行き詰まったとき、深夜の校内を歩き回りながら、考えを巡らせていたころを懐かしく思いだす・・・。

日記

煩わしいものは置いてきて自転車を走らせる。

川沿いの道をずっと走り続けると、そのうちに草地の生い茂る道となった。

自転車を降り、柔らかな草の上に寝ころんで空を仰いだ。

黄昏の空を背景に、送電塔のくっきりとした影。その隣には夜を待つ三日月。

撮りたいと思う風景に出会うときに限り、スマートフォンを持ってきていないものだ。

あの月にうつる影、この地球自身の影。

沢山の人が喜び、悲しみ、たくさんの感情や営為の凝縮したこの地球、その影が、今見えている。静かな感動を覚えた。

 

送電塔近くの電線に、二羽の鳥がとまった。

電線にとまっても鳥が平気なのは鳥の抵抗値の方がずっと大きいから、らしい。

一方の鳥はすぐに飛び立ち、離れていった。

すぐにもう一羽の方も飛び立つ。

先に飛んで行った方は相方だったのか、連れ立って大空を羽ばたいていった。

アイデンティティの揺さぶり合い

入社して一年が経ち、新入社員が入社してきた。

私は後輩というのがめっぽう苦手で、それがなぜかというと優秀な人間に自分のアイデンティティが脅かされるのが怖いからである。

実際、今回入社した新人も様々な点において私よりも優秀であった。

自分自身で他人より優れていると思っていた部分が年下に抜かされるというのは大変苦痛で、自分という存在が何のためにあるのか、虚しくなってくる。

しかし、それによって、必死になって自分が優れている部分が何なのか探し、その部分を伸ばそうと努力し始める。

レーダーチャートで例えれば、グラフどうしを重ねて、より先鋭な部分を探して、それをさらに高めようとすることである。

人間というものはそうやって他人にアイデンティティを脅かされ、揺さぶられることで成長するものなのだろうと思った。

今まで、私はそのような脅威と出会うたびに、引き籠り、安楽だけを求め、そういう対人関係を避けてきた。

その結果、自分の優れている部分が何なのか分からず、ただただプライドだけが先鋭化してしまったのだろう。

年の近い兄弟もなく、同年代のクラスメイトと交流をまともに持たずに生きていくことは、大変にもったいない人生の過ごし方をしているのかもしれない。

 

春菊うますぎ

フライパンですき焼きをするのにハマってるこの頃。

ガスコンロがないので、キッチンで食べる。

春菊と白菜と長ネギを入れて、めんつゆ&気持ち多めに砂糖を入れて、野菜を煮つつ、空いたスペースで牛バラ薄切りにサッと火を通し、すかさず卵に絡めて食べる。

 

これがもう、ウマすぎる。

春菊ってこんな美味かったっけ、この独特の風味と苦みのような味が染みる。

食べ終えた後の鍋に残るスープ、肉の脂が浮いてキラキラと光る。

塩辛いかと思ったが、一口飲んだ瞬間の衝撃、半端な外食じゃ叶わない極上のスープ。

 

春菊一束100円、白菜1/4で100円、牛肉300gで400円、正直、安すぎる。

この倍でも全然良い。

新鮮な野菜と肉がこんなに美味いとは。なんかもう、全農家の人たちに感謝したくなる。

そして翌日の体調も良い。

ただ、毎日スーパーに行くのはきついので、1週間分の買い置きになってしまい、実質3日間くらいしか新鮮な野菜は食えない。

実家の母には感謝だなぁ本当。

家政婦さん雇ってもいいくらいな気がしてくる。

というか、やっぱりお嫁さんなのかな、世の男性が結婚したい気持ちも分かってきたかも。

日記

白菜ときのこのスープ煮(白菜と舞茸をコンソメスープで煮て、片栗粉でとろみをつけただけの料理)を食べ終えた後の残ったスープで乾麺を茹でた。茹で終えるころには麺に吸収されてスープはほとんどなくなる。

一口食べて、そうだ、これが俺の求めてたラーメンの味だと思った。

付属されている粉スープの、これで「旨い」だろう?とメーカーに言われているような、力づくで作り上げられたような、ケバケバしい粉黛に塗れたギャルのような大味じゃない。

塩味は薄く、素朴ながらも、野菜と舞茸の旨味が調和していて、優しく、安心するようなこの味。強い刺激はないけど、一緒にいるだけで心の底から安らぐ人のような、そんな感じ。

 

 

最近はまってるスピード夕飯(ほうれんそうのおじや)

調理時間:

10~20分

 

材料:

・ごはん 茶碗一杯くらい

・水300ccくらい

白だし大さじ2杯 or 鶏がらスープの素 大さじ1杯

・冷凍ほうれんそう お好み

・(塩 一つまみ程度)

・生卵 一個

 

手順:

1.鍋にごはんと水を入れて煮て、おかゆっぽい濃度になったら、冷凍ほうれん草と白だしを入れて少し煮る。

2.ほうれん草が解凍されてやわらかくなったら、ほんの少し溶いた卵を入れて、白身が白くなるまで弱火で煮る。塩見が足りなかったら塩少々。

※なべ底にくっつきやすいので、底の方を箸やスプーンなどでこそぎつつ煮る

3.完成

 

 

胃の消化能力が高くないので、夕飯は消化の良いものが食べたいということや、冷凍したご飯が固くなりがちということもあって、最近はしょっちゅうおじやにしている。

簡単かつスピーディで、野菜やたんぱく質も摂れるのでおすすめ。

冷凍庫に青菜系を備蓄しておきさえすれば、卵とご飯があれば作れる手軽さが気に入っている。

私の場合これにサラダ一皿と、デザートに干しブドウ&はちみつ&シナモンのヨーグルトをプラスしてかなり満足できる。

食べているうちに飽きてきたらスライスチーズとかをのせてチンすれば、リゾット風になってうまい!

お好みでパセリやオリーブオイルををかければなおそれっぽくなるだろう。

多弦ギターの共鳴について

私は正直ギターは詳しくないのだけど、普通ギターは6弦だが、さらに弦を増やした8弦ギターとか多弦なギターがあるらしいとギター好きな人に聞いた。

 

そして、増やした弦は弾かずに主に共鳴させる用途に使うとのこと。(ネットで調べたら増やした弦も弾いて使うという話もあったが、、、)

 

しかし、共振周波数が同じ弦からは同じ音色の音しか出ないのでは?

その弦があってもなくても音色に違いは出ないのではないか?と疑問が起きたのであった。

 

弦を伝わる波の速さをV、弦の固有振動数f_m、弦の長さをl、振動の節の数をnとすると、

 

f_m=\dfrac{m}{2l}V

 

となる。ここで、mがミソになっていて、同じ固有振動数の弦であっても、mが変われば、弦の振動の節の数が違うので、音色が違った音が出てくるではないかと。

 

例えば、固有振動数が500[Hz]で弦の長さ0.6[m]の二つの弦①、②があったとして、①の弦は波の速さが70[m/s]で2倍振動(m=2、節が2こということ)とすると、

 

500=\dfrac{2}{2・0.6} 70

 

 

という式が成り立っている。また、②の弦はm=3(節が3こ)で振動するとすれば、

 

500=\dfrac{3}{2・0.6} 70(×)

 

ここで、このままではイコールが成り立たないので、②の弦の波の速さVを2/3倍すればいい。

 

500=\dfrac{3}{2・0.6} 70・\dfrac{2}{3}

 

これで、②の弦は500Hzで節2こで振動するが、それに共鳴する弦②は節3こで振動し、それぞれの弦で音色が違う音が出るはず。

素人の考察なので誤った点があるかもしれないが、

つまり、共振周波数が同じ弦からは同じ音色の音しか出ないのでは?というのが間違っており、

多弦ギターの増やした弦は、振動数は同じでも節の数が違うために音色が違う音を鳴らすことができるということかなと思った。